古代中国 禹1 舜の死と、明らかにコピペな禹の即位 夏王朝が成立する

 舜は39年間の統治の後、南方への巡幸中に蒼梧で死去したと伝えられます。その遺体は零陵にある九疑山に埋葬されたそうです。

 禹が3年の喪が明けた後に即位します。禹は顓頊の孫とも言われますが、堯が同じく顓頊の孫に当たるわけですから、堯が70年以上、舜が39年以上統治した後に堯の同世代の禹が即位するのは少々怪しい気がします。

 黄帝、顓頊、嚳、堯、舜の5帝の神話はこのようなものです。ところが、彼らの実在性は甚だ怪しいものと言わなければなりません。堯の異様に長い統治期間を見れば一目瞭然ではありますが、これらは全てが事実であるとは認められません。

 司馬遷は、「書経には堯以降しか書かれておらず、黄帝は百家の書を見なければならない」と書いています。続けて「しかし、百家の書は文章が典雅穏当ではなく、貴顕・学者には妄誕にすぎるので、口にするのもはばはられる」(『史記』)とありますので、そのレベルが知れます。司馬遷がまだ信用できると思ったものが五帝本紀なわけですが、後世では帝舜の事跡が分けられ、殷の神である帝俊(10の太陽を生み出した)や帝嚳を生み出したとされます。

 尚、黄帝に先立つ支配者として、伏羲、女媧、神農が置かれたのは唐代のことです。但し、神農については史記で黄帝の事跡を記すにあたって神農の子孫が支配していた時代としているところから、漢代にはあったようですが。秦においては始皇帝の記録から天皇(てんこう)、地皇、泰皇が置かれていたことが分かります。但し、彼らが実在した証拠は存在しません。

 次の禹が夏王朝の始祖となります。

 禹の即位に関して、舜の時と全く同じような話が伝えられます。禹は舜の息子の商均に遠慮して首都から退いていたのですが、諸侯は商均に詣でることはなく禹の下へやってきたというのです。どう見ても堯が帝を引き継いだエピソードのコピー&ペーストです。もしこれが本当に別々の人物についての事実を述べているのであれば、それが簒奪のパターンになっていたとしか思えません。


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