古代中国 創世神話13 黄帝の勝利と養蚕の開始

 軒轅の側は娘の魃や応竜を呼び出して対抗します。旱の神と雨の神を呼び出すのはちょっと欲張り過ぎるのではないかと思わなくも無いのですが、彼らの活躍もあって軒轅の軍は蚩尤を攻撃、遂に敗死させることに成功しました。

 こうして軒轅は天子となり、黄帝を名乗ります。外征を続け、北はモンゴルから南は長江まで支配下に置く一方、家庭面でも子宝に恵まれ、その子は男子だけで25人に達したそうです。

 黄帝の勝利に重要な役割を果たした魃と応竜は、蚩尤の邪気に当てられて天に戻れなくなってしまいます。こうして魃のいる北方は日照りになり、応竜が潜む南方は多雨となりました。狡兎死して走狗烹らるとなると言いすぎでしょうけど、黄帝はやや薄情に思えてしまいます。

 ただ、黄帝がまず主君の器にない神農の子孫を立てて朝貢しない諸侯を討ったとするなら、黄帝が蚩尤を討った後に天子となるというストーリーはやや無理が有るようにも思えます。曹操が献帝を担いだように、自分の勢力を伸ばすための大義名分にしたのでしょうか。あるいは、黄帝が神農を直接逐ったとの話もあるそうです。黄帝の最大のライバル蚩尤は神農の後裔で、ウシの蹄を持つ勇猛な巨人です。こちらが正しいなら、蚩尤は敵討ちをしようとした可能性もありますね。かつて黄帝の先駆けとして活躍した蚩尤が反旗を翻した理由も納得がいきます。

 蚩尤についてはここまでにしておきましょう。

 黄帝の時代に起こったとされる重大な出来事の1つに養蚕の開始があります。その起源に関する神話を紹介しましょう。

 あるところに父娘が住んでいました。父が遠方へ出掛けたため、幼い娘がウマの面倒を見ることになりました。娘は寂しくなり、戯れ半分でウマに向かってお父さんを連れて帰ってきてくれたら結婚する、と言ってしまいます。ウマは駆け出し、父親を探し出しました。父親はウマの尋常ならざる様子を見ると、家に何かが起こったのだろうと推測してウマに乗ると、急いで戻ります。

 この頃はまだ股を開けるような服(下着では無い方のパンツ、おじさん風に言えばズボン)は中国には無かったので、騎乗していたとするなら漢民族の神話では無いと言えるでしょう。


面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^

人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村