ローマ3 プロブス 跡を継いだ高齢のタキトゥスはすぐに病死し、プロブスが即位する

 次の皇帝を誰にするか、軍は迷います。なんと数ヶ月の間、皇帝不在という異常事態を迎えますが、最終的に75歳のタキトゥスが選出されました。歴史家として名高いかのタキトゥスの子孫に当たると自称(実際は関係ないと見られています)した人物です。

 どう考えてもショートリリーフ的な選択ですが、タキトゥスにやる気はあったようです。無かったのは、余命でした。タキトゥスは小アジアにおいてゴート族を破り、ササン朝ペルシアへの遠征に向かいますが、途中で病死してしまいます。

 次の皇帝選びに時間はかかりませんでした。タキトゥスが後継者に指名していた実弟フロリアヌスが即位したのです。ところが、軍はプロブスを皇帝として担いでフロリアヌスを殺害しました。

 プロブスもまた、異民族対策に東奔西走します。小アジアでゴート人を逐い、ガリアへ向かってフランク人やアレマンニ人を撃退します。彼らは従来の侵入して略奪が終われば去るのではなく、ガリアに居座っていました。それを即位翌年の278年には追い払ったのです。捕虜はローマ軍に組み入れられました。

 その後はドナウへ向かって異民族から国境を護り、更にササン朝ペルシアとも戦って勝利します。まさに東奔西走ですね。

 ところが、翌年にはコロニア・アグリッピナで反乱が起こり、ブリタンニアでも簒奪の兆しが見られたため、ササン朝ペルシア遠征は切り上げて西に戻るしかありませんでした。

 ローマが強国に戻る道を、ローマ人が破壊しているように見えてしまいます。

 反乱への対処を全て終え、再び侵入してきた北方の異民族対応に戻ります。ここでも勝利しているのですから司令官として極めて優秀な人物ですね。勝利の後、敗北した異民族の移住を認めています。異民族をローマの戦力に取り入れる動きは過去からありましたから、その一環です。

 281年には即位後初めてローマに入り、凱旋式を挙げました。プロブスの意欲も上がったことでしょう。翌282年には、ササン朝ペルシア遠征を目的にローマを出ます。


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