ローマ3 クラウディウス・ゴティクス2 異民族相手には勝利したゴティクス、病に倒れて世を去る

 戦いに何とか勝利して凱旋帰国した新帝をローマは歓声で迎え、ゴティクス(ゴート人に対する大勝利者)の敬称を与えました。従って、これ以前の彼をクラウディウス・ゴティクスと呼ぶのは不適切なのではありますが、単にクラウディウスと書くとカリギュラの次の皇帝で妻に毒殺されたクラウディウスと区別が付かなくなりますので仕方が無いということにしてください。

 翌年もまた、ゴート族が襲来します。クラウディウス・ゴティクスは迎え撃ち、再び勝利しました。その後、ゴート族に対してローマ軍への入隊やローマ領内での農民として定住を勧めるという以外な案を提示します。そして、ゴート族もまた受け入れました。彼らとて、趣味で放浪していたわけではなく、安住の地が欲しかったわけですから、ローマがきちんとそれを与えるなら受けたかったのです。そして、クラウディウス・ゴティクスの措置はゴート族の兵士が多数出る契機となりました。

 この間、東方では看過し得ない重大事件が起こっています。クラウディウス・ゴティクスがゴート人相手の戦いに忙殺されていると見たパルミラがエジプトに侵入、これを支配したのです。

 パルミラは食料供給を断つ動きを見せれば流石にローマが最優先で対処しようとするであろうことから、食料供給こそ続けましたが、ローマは非常に厳しい状況に追い込まれたと言えるでしょう。

 一難去ってまた一難と言いますが、この時のローマは最初の難が去らないうちにもう次の難がやってきます。即ち、270年9月、ゴート族との戦争後に蔓延した疫病により、まだ56歳だったクラウディウス・ゴティクスが病死してしまったのです。その統治は僅か1年半のことでした。

 クラウディウス・ゴティクスには息子が居なかったため、元老院は弟のクインティルスを皇帝に任命します。ところが軍は認めず、ゴティクスと共にガリエヌスを斃したアウレリアヌスを皇帝に担ぎました。元老院はクインティルスの任命を撤回、恥じたクインティルスは自殺したとも、アウレリアヌスとの争いに敗れて殺害されたとも言われます。はっきりしているのは、170年に即位して同年に死んだということだけで、在位期間は17日から177日の間との由です。


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