キリスト教の成立 ローマの影響8 ローマで総督を非難することはできず、冷酷で残虐なピラトは聖人に変わる

 マルコから更に20年後の90~100年頃にマタイによる福音書とルカによる福音書が記されます。両者ともマルコを底本にして、幼少期や復活の姿のように欠けていた記述を埋めています。彼らはそれぞれマルコによる福音書を参考に書いたのですが、マタイとルカはそれぞれ独自に福音書を書いたので、相互の関連は無いとされます。その際に各々が勝手に伝承を加えたために、矛盾が入り込みます。

 福音書の著者の中でルカだけは非ユダヤ人です。恐らくはそれ故に、ルカは非ユダヤ人への布教に活路を見出したパウロを持ち上げています。一方で、パウロと対立していた義人ヤコブを始めとするイエスの家族についてことさら冷ややかです。そう言えば、イエスの墓が空だったことを発見した者たちについて、ルカだけは具体名を挙げずに女たち、としていましたね。

 イエスの家族に対しては冷淡なのに、ローマ人であるピラトへの評価は異様に甘く、イエスの尋問に丁寧に時間を割き、極力死刑を回避しようとしたと描き出します。ローマ人への布教に当たっては、ローマの総督は公明正大だったとするほうが有利なのは火を見るより明らかですから、事実とは正反対でも構わなかったのです。

 繰り返しになりますが、イエスの時代には終末論が流行していました。イエスの教えはそうした時代背景の下に成立していますし、真にイエスの教えが意味を持ったのはイエスの生きた時代のみです。

 ところが、ルカによる福音書が書かれた時点では終末論は流行らなくなっていました。ルカにとってはイエスの教えのうち、終末論に属する部分は意味をなさないどころか布教の障害になっていたのです。そこで彼は、イエスのありのままの姿を記録に留めるのではなく、「神の国は近づいた」との宣言に見られる終末論的な言動を消してしまいました。目の前の宣教のため、イエスの教えを改変してしまったのです。

 イエスの教えがローマに入って姿を変えていく過程において、ローマの神々の姿がユダヤ教の恐れる神に写像されていきます。そして、ユダヤ教の神が普遍的な存在へとその性格を変えたのです。それに伴い、非ユダヤ人にも救いの可能性が開かれました。『福音書=四つの物語 講談社選書メチエ (304) - 書についてこう書きます。
福音書=四つの物語 講談社選書メチエ (304) -
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