キリスト教の成立 イエスの後継者3 ステファノ殉教を期にイエス派は弾圧される パウロという異端児の加入

 ステファノの処刑を皮切りに、反神殿的なイエス教団の人々に対してユダヤ教の主流派は弾圧に出ます。ただ、この時にイエス教団の中核をなしていた、神殿の権威を認めるグループに対しては迫害が加えられなかったようです。イエス教団の内部でも温度差があったようで、ペトロたちは反神殿派が攻撃されるのを防ごうとはしませんでした。

 仲間から初めての殉教者を出したことに加え、迫害が起こったことからイエス信者は各地に散ります。その行き先は広い範囲に及んでおり、使徒言行録によればフェニキア、キプロス、シリアのアンティオキアにまでその足を伸ばしています。ただ、イエス信者は当初はイエスの教えを忠実に守ってユダヤ人以外には布教しませんでした。

 ただ、ギリシア人の中でユダヤ教に興味を持ち、割礼を受ける・受けないの差はあれど、シンパシーを示す者はいました。彼らはシナゴーグを訪れ、ユダヤ教の教えを受けていました。当然、彼らの一部はイエス教団教えを説くシナゴーグにも入ってきます。ヘレニズム都市として多くの民族を抱え込むアンティオキアにイエス派のシナゴーグが成立したことは、後の福音主義に繋がる思想を生み出すことにつながります。

 ペトロもアンティオキアへ行き、イエスの教えを説いています。その頃には非ユダヤ人との接触は増えていたようです。そこへイエス教団を引き継ぎ、エルサレムに残った義人ヤコブからの使者が訪れます。彼らは律法を守ることが当然であると唱え、異邦人とも平気で食事を共にするペトロを非難します。義人ヤコブは思想信条の点でも、ユダヤ人ばかりに囲まれているという実社会での生活の上でも、異邦人を受け入れる必要など無かった一方、異邦人に囲まれているペトロには別の事情があることを理解できなかったのですね。

 ヤコブの指導を受け入れたペトロをパウロが非難しています。

 ここでパウロについて触れておきましょう。

 パウロ、改名前のユダヤ名でサウロは、他の初期メンバーと違ってユダヤ人でありながらローマ市民権を持っていました。両親がローマ市民権を持っていたからで、どうやら裕福な家の出だったようです。職業はテント職人ということですが、この言葉には織物づくりも含まれているそうなのです。テントも織物も、軍の需要が大きいものです。そのためか、パウロは高名なラビに学んでいるだけではなく、後にユダヤ人に捕えられて命の危機に瀕した際にはネロの助けを得ているほどです。


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