「七生報国」を最後の最後まで貫いた忠臣・楠一族


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大東亜戦争(上画像は回天)では楠公の家紋「菊水」が使われた。


「楠正成」と言えば戦前では学校でもよく教え、唱歌でも歌い、多くの子供達が尊敬していた。
 
江戸時代に「忠臣蔵」で有名な赤穂事件で民衆は「大石内蔵助は楠正成の生まれ変わり」と言った。これはどういう意味であるのか。
 
正成公は、わずか数百の手勢で数万の国賊・足利高氏に立ち向かった忠臣である。周りがどんどん裏切って足利に寝返る中、天皇陛下に変わらぬ忠義を貫いたその姿勢は、多くの日本人から共鳴された。
 
特に幕末・維新の風雲の中、若い命を散らした志士達や、楠の家紋「菊水」で祖国日本を守るために特攻に殉じた英霊達も、楠正成公の忠義こそが心の支えであった。
 
その楠正成公が湊川で「ついにここまで」と弟・正季と刺違える時に言い残したのが「七たび生まれ変わっても、国賊・足利を滅ぼす」、つまりあの有名な「七生滅賊」(後に七生報国)である。
 
しかしこの「七生滅賊」がどれほど凄まじいものか、あまり知られていないのでここに書いておく。
 
楠正成公が湊川で討ち死にしたその後も、正成公の子孫達は足利幕府に抵抗し続けた。
 
記録に残っているだけでも1429年には楠光正、1437年には楠兄弟、1447年には楠雅楽助らが足利幕府に反旗を翻した。
 
日本の中でこれほど長い間抵抗した一族はいない。そして楠一族の抵抗が歴史の記録から消えた7年後に「応仁の乱」が起こり、ついに足利幕府が崩壊したのは偶然ではない。
 
時代が明治になると、明治政府が南朝の子孫を探し出して顕彰したが、どうしても楠一族だけは一人も探し出せなかった。これは最後の一人になるまで戦い抜いて全滅したのだ。
 
さて、冒頭の「大石内蔵助は楠正成の生まれ変わり」はどういう意味であるのか。
 
赤穂事件で吉良上野介の吉良家は滅びたが、吉良家は足利の血筋である。三代将軍・足利義満の嫡男を初代とするのが吉良家である。
 
つまり最後の足利の正統である吉良を滅ぼして、ついに正成公の悲願が達成された。これを江戸の民衆は「楠公は大石内蔵助に生まれ変わって足利家を滅ぼした」と言ったのだ。
 
逆に言えば、江戸の民衆はこのようなことが言えて理解できるほどの知識があった。現代の日本人としてはいかがでしょうか。


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楠正成公

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