我が国柄は、太陽の如く明るく元気でなければならない。


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近頃、ご皇室のことをワイドショー的に語る者がいるそうだが、如何なものか。
 
幕末の志士に大きな影響を与えた、水戸藩の会沢正志斎の『新論』の「序」には「神州は太陽の出づる所、元気の始まるところにして・・・」と始まる。
 
つまり「日本は天皇陛下を戴く国であり、太陽のように明るく元気でなければならない」ということである。
 
「日の丸」イコール「太陽」を国旗とする日本国はそうあらねばならない。
 
大東亜戦争後、昭和天皇は約8年かけて、日本国中を巡幸された。
実はこれは世界中が驚いた。
 
世界の常識では敗戦国の君主は財産を持ち出して国外逃亡するのが当然だと考えていた。同時に敗戦は治安が悪化し、君主への恨みから、国民は暴動を起こして君主を殺害することもあった。
 
君主は常に国民の犠牲を顧みずに豪華な生活をするものであったから、同じように日本も天皇陛下が国民から銃で撃たれて殺害されるものだと世界は思っていた。
 
しかし、日本はそうではなかった。
 
陛下の巡幸はどこに行っても大群衆に囲まれ、大歓迎され、時に日本国民は涙を流して「天皇陛下万歳、万歳、万歳」とやるのだ。
 
特に広島への陛下の巡幸は、広島の人々にとって大きな支えとなった。それは原爆が落とされた広島には誰も寄りつかなかったからである。
 
当時の広島は「70年間は放射能で草木も生えない」と言われ、「放射能汚染された広島人と結婚したら子供が出来ない」とまで言われた。
 
しかし、昭和22127日、そういう風評の中で、昭和天皇は広島に巡幸された。この時、広島県民は涙を流して陛下をお迎えした。
 
ちょうど広島市の境で84人の戦災孤児が並んでお迎えしていた。
 
陛下はお車を停めて降りられ、子供達のそばに行かれて何かお声をかけると、原爆によって髪の毛が抜けた男の子の頭を抱え込むようにして抱かれると、あふれる涙を指先で拭われて、目頭を押さえられた。
 
これを見ていた群衆は陛下の涙に、そろって嗚咽した。

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そして、陛下が来られたことで広島は元気になった。明るくなった。
「陛下が来てくれた。これで広島は大丈夫だ。放射能も大丈夫。結婚も出来る」。

広島県民は力一杯に手を振り、そして「天皇陛下万歳」を何度もやった。
 
広島が苦しんでいるときには広島に、そして福島が苦しんでいるときには福島へ。天皇陛下は常に国民とともにある。

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時代が変わっても、決して変わらないもの。これが日本の国柄である。

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