日本の教育はこのままでいいのか・・・


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平和教育「平和と命の大事さ」(毎日新聞)

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せんそうはすごくこわい=小学生・金子望華・8 (さいたま市北区)
わたしは、夜ねるとせんそうのこわいゆめをよく見ます。
なぜなら、れきしの本を読んだり、せかいのニュースをみたりするからです。そういう時は朝、「こわい!」と思っておきます。目がさめて、いつものへ屋を見ると「ああ、よかった」と思います。
 
わたしは、せんそうがおきてほしくありません。なぜなら、せんそうをすると、たくさんの人がしんでしまったり、けがをしたりしてしまうからです。あと家がやけたり、つぶれてしまったりしてしまうからです。それに、お金がなくて食べものが買えなくなるのでおなかがへってしまいます。水も、きれいな水をのめません。
 
せんそうは、すごくこわいものです。いつかせんそうのない時だいがくるようにねがっています。(2017.5.20 毎日新聞「みんなの広場」)
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8歳の小学生の金子君の「せんそうはすごくこわい」だが、ひらがなばかりでいかにも小学生が書いたようにしているが、読みにくい。
 
金子君はきっと日教組教師や親から、脅迫とも言えるほどの反戦思想を植え付けられたのだろう。
 
それにしてもこの文章、子供が書いたとは思えないのは気のせいか。
 
子供達に戦争を教えるのに「悲惨さ」ばかりを強調しても何も見えてこない。
ここでフィリピンのある村での話を書いておきたい。
 
平成121025日、フィリピンの3か所で「神風特別攻撃隊」をはじめ戦没者の慰霊祭が行われた。
 
昭和191025日、関行男大尉の率いる神風特別攻撃隊「敷島隊」5機は、フィリピン・ルソン島のマバラカット飛行場から出撃し、レイテ湾のアメリカ艦隊に突入していった。

この特攻攻撃を皮切りに、終戦までに陸海軍合わせて3375機の特攻機が出撃し、4279名の命が散った。この特攻攻撃を受けて沈没・損傷した連合軍艦艇は350余隻を数え、連合軍将兵を震え上がらせた。
 
こうした神風特攻隊も戦後の日本では「戦争の悲劇」としてしか語られていない。ところがフィリピンではその捉え方がまったく違っていた。
 
この式典に参列したダニエル・ディゾン画伯(下画像)はこのように語った。
「今から35年前に私は神風特攻隊の本を読みました。涙がとまらなかった。
こんな勇気や忠誠心をそれまで聞いたことがなかったからです。同じアジア人として、このような英雄がマバラカットと私の町アンヘレスで誕生したことを誇りに思っています」。
 
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そしてディゾン画伯は「関行男大尉」の写真を見つめて語り続けた。
「私は、ヨーロッパ、アメリカ、中国、フィリピンの歴史観を様々な角度から検証してみました。その結果、なぜ日本が立ち上がり、戦争に打って出たのかがよくわかったのです。そして日本が、欧米列強の植民地支配に甘んじていたアジア諸国を叱責した理由も理解できたのです。
 
当時、白人は有色人種を見下していました。これに対して日本は、世界のあらゆる人種が平等であるべきだとして戦争に突入していったのです。神風特別攻撃隊は、そうした白人の横暴に対する力による最後の”抵抗”だったといえましょう。 
神風特攻隊をはじめ、先の大戦で亡くなった多くの日本軍人をどうか敬って頂きたい。これは私から日本の若者たちへのメッセージです」。
 
同じ1025日、タルラック州バンバン村でも「神風特攻隊」の慰霊祭が行なわれた。地元住民は村を挙げて日本人を歓迎した。
 
そして、帰路につこうとする日本人を子供達は「日の丸」の小旗をちぎれんばかりに振って見送ってくれた。日本人はこの光景に胸を詰まらせていた。

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子供達の「日の丸」行進はどこまでも続いた。
式典に参加した地元サン・ロック高校の女子学生の一人が言った。
「フィリビンにも英雄はたくさんいます。ですから私達も神風特攻隊という日本の英雄をたいへん尊敬しています」

引率の男性教師は「こうした歴史教育を通して、子供達に国を守ることの大切さを知ってほしいのです」と話していた。
 
学生達に訊いた。
「君達は、カミカゼのパイロットを尊敬しているのですね」、
「もちろんです。だってあの人達はヒーローですもの」 。
              (参照:井上和彦「日本軍-もうひとつの真実」)

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