長州藩で学んだこと 伊藤博文の自己実現Ⅱ

長州藩で学んだこと 伊藤博文の自己実現Ⅱ

 

みなさんこんにちは、ヒスペディアです。今回から伊藤博文の生涯を「自己実現」の観点からたどっていきます。

この記事で扱う時代は1842年~1864年になります。

長州藩(山口県)の田舎で百姓の子として利助(のちの博文)は生まれます。幕末の英雄を多く輩出することになるこの知で、若き博文は何を経験し、学んだのでしょうか。

 

①父の背中

 博文が幼いとき、百姓である父親、十蔵(じゅうぞう)は家を潰しました。家族は浪々の身。そこで父は単身、長州最大の城下町、萩へ向かいました。家族を捨てたわけではありません。足軽の伊藤家に奉公し、その当主の養子となったのです。十蔵は家族を萩へ呼び、再びともに暮らすこととなりました。博文は足軽の子へと身分が上がったのです。

 自らの力で身分を上げた父の背中を伊藤は見て育ったのです。

 

②松下村塾で才能開花

 10代後半で伊藤は友人のツテがきっかけで吉田松陰の松下村塾に入ります。幕末のうねりに呑まれた瞬間です。ただ、気をつけなければならないのは、松下村塾に入ったからといって、明治での出世が約束されてはいないということです。松陰の弟子の大半は幕末の争乱の中で命を散らしています。

 伊藤が松陰から受けた評価は「周旋家」。交渉上手という意味です。久坂玄瑞、高杉晋作といった主張の強い兄弟子たちに囲まれた環境だったからこそ、交渉術が鍛えられたのでしょう。

 

③イギリス密航によって英語を習得

 師松陰を失った後、伊藤は井上馨ら5人でイギリスへ密航しました。いわゆる「長州ファイブ」と呼ばれる5人は半年間イギリスで過ごし、英語を習得したり、大学の講義を受けました。

 

まとめると、

①自力で身分を上げた父の背中。

②交渉力がある

③簡単な英語を話すことができる。

この3つの個性を持つことが出来ました。

留学は長州に危機がおとずれたため、半年で切り上げ、帰国します。伊藤が身に着けた個性を活かすべきときが来ます。

 

ここで、みなさんに問いてみます。あなたが伊藤なら3つの個性をどのように活かし、幕末政局を乗り切りますか?読者の意見聞かせください。