パールハーバーの誤算(1) 日米はなぜ開戦に至ったのか…米も欲した満鉄利権、確執は満州での“すれ違い”から始まった 4/4

南雲が「読め」と静かに指示すると、しっかりした口調で「本文、ニイタカヤマノボレ一二〇八(ひとふたまるはち)」と読み上げた。12月8日に開戦すべしとする内容だった。

ニイタカヤマ(新高山)は、日本が当時、統治していた台湾の山(現在名は玉山)。標高が3、952メートルと富士山より高い、日本の最高峰だった。

電文を聞いた南雲は隣の参謀長、草鹿龍之介少将の方を見て、「うまくいくのかな」と話しかけたともいわれている。

当時の世相映した国策映画「潜水艦1号」

対中戦争を進める日本は昭和14(1939)年に映画法を制定すると、「海軍爆撃隊」「燃ゆる大空」などといった、娯楽色を廃して軍国主義を強めた映画の製作を強制的に進めるようになる。「潜水艦1号」もそんな1本。

アメリカと対決色を強めていった昭和16年5月に公開されている。明治43年、技術的に未熟の域にあった潜水艇の艇長として乗り込んだ久間勉大尉は沈没事故で生命が絶望視される中、冷静に艇内の様子を記録した精神力は当時の軍人の手本ともされていた。

映画は、そんな佐久間大尉の故郷で育った少年2人のうち、1人がのちに潜水艦の設計士として最新鋭艦を設計し、もう1人が艦長としてその艦に乗り込んで試験航海に臨むといった内容になっている。

まだ戦闘シーンがあるわけではないが、「必ず米英と戦うときが来る」と艦内の居住性を廃して、武器などに重点を置いて新鋭艦開発を進める姿に、当時の緊迫した世相を垣間見ることができる